海水浴

2022年7月15日。
兵庫県明石市の海岸で水上バイクで危険行為をしたとして、40代男性を神戸区検が略式起訴。
同日、神戸簡裁が罰金20万円の略式命令を出した、というニュースが神戸新聞に掲載された。

この男性は殺人未遂容疑でも書類送検されていたが、こちらは嫌疑不十分で不起訴処分となったとのことである。

水上バイクが岸際ぎりぎりを猛スピードで走行したり、海水浴客の近くをジグザク走行したりする危険な行為は以前より問題視されていた。

ぼく自身、まだ小さかった子どもを連れて海水浴場で泳いでいる時に、すぐ近くまで水上バイクがやってきて危険を感じたことがある。

小さなお子さん連れのファミリーにとっては、すぐ近くを轟音を立てて走り回る水上バイクは迷惑行為以外の何物でもないだろう。

そんな中、「事件」が起きたのは前年の7月。

海水浴場内でいつもにもまして傍若無人な暴走をする、水上バイクの様子を写したビデオがニュースに取り上げられた。

そしてこの映像を見た泉房穂・明石市長が、同年8月、こうした水上バイクの危険行為に対し、容疑者不詳の「殺人未遂」および県水難事故防止条例違反の罪で神戸海上保安部に告発状を提出した。

泉市長は、県条例違反の罰則は罰金20万円以下という規定のため、「罪が軽すぎ、警告にならない。人が死ぬような行為と認識してもらう必要があり、殺人未遂での告発が妥当」との判断のもと、容疑者不詳の「殺人未遂」として告発に踏み切ったとのことである。

冒頭の略式命令はそれを受けてのものだ。

「殺人未遂罪」による告発は明石市長による強いメッセージ

告発の結果は罰金刑のみが科され、「殺人未遂容疑」については不起訴処分となった。

弁護士でもある泉市長からすれば、殺人未遂罪によって告発したところで、それが裁判所によって認められるかどうか、それ以前に検察によって起訴まで持ち込まれるかどうかという点に関しては、おそらくかなり困難であろうということはわかっていたはずだ。

素人目で見ても「殺人未遂罪」には少し無理があるなと感じる人が多いのではないだろうか。

しかし大切なのは、「殺人未遂罪」で告発しても、結局は不起訴処分となってしまった、という裁判の結果ではないはずだ。

他人の危険など顧みることなく、水上バイクをところかまわず好き勝手に乗り回すという行為をしているものに対しては、明石市は「殺人未遂罪」という重罪をもって告発するという強いメッセージが、水上バイクで危険運転をするもの達に伝わったことこそが重要なんだと思う。

事実、泉市長が容疑者不詳の殺人未遂罪として告発して以降、明石の海からは水上バイクの姿はパッタリと姿を消した。

いや、泉市長によると日本中で水上バイクによる危険運転が止んだということだ。

裁判の結果がどうであれ、泉市長の思いは十二分に達成されたと言えるだろう。

「弱きを助け強きを挫く」という美意識の欠如

泉市長の思い・願いが達成されると同時に、小さな子供を安心して海で遊ばせることができる環境ができたことは、子連れのファミリーの海水浴客にとっても大きな朗報になったと思う。

水上バイクという色々な意味で大きな力を持っているものと比較すると、小さな子供、あるいは子連れのファミリーは何の力も持っていない、いわば無防備な存在だ。

無防備な弱い存在に対しては、水上バイクという力(「自分の力」ではない)を借りて危険行為・嫌がらせをする。

そのくせ、いざその行為を「殺人未遂罪」として告発され、警察や検察といった国家権力=自分よりもはるかに大きな力を持つ組織と相対するという立場に追い込まれると、尻尾を巻いて逃げ出す。

弱いものに対しては高圧的で横暴な態度を取り、強いものに対しては媚びへつらう。
「弱きを助け強きを挫く」という武士道の美意識とは正反対の、唾棄すべき人間の典型だ。

泉市長に届いた脅迫メール

7月には、泉市長を巡るもうひとつの看過できない報道があった。

「8月中に辞職しなければ自作の銃で殺す」

そんな泉市長殺害予告メールが届いたのだ。

メールによると、“自作の銃”は安倍晋三元首相の銃撃事件の山上哲也容疑者を参考にして作ったものだという。

まさにその安倍元首相銃撃事件があった後だけに、脅迫メールの内容には愉快犯では済まされないリアリティがある。

(銃撃事件がなかったとしても愉快犯では済まされないが)

当然この脅迫メールが届いてからは、泉市長の行動は制限され、政治活動・市政運営、また私生活にも支障をきたしているとのこと。

メールの中には泉市長に辞職を迫る理由は書かれていなかったようなので、犯人が脅迫メールを送った意図は不明だ。

が、どのような意図、どのような理由があるにせよ、脅迫によって市長辞職を迫るなどという行為が許されるわけはない。

暴力による言論の自由、政治活動の自由の封殺は、民主主義の破壊以外の何物でもない。

国葬を止めろという脅迫メールも各地の自治体に

泉市長に対し、辞めなければ安倍前首相を撃った銃と同じ自作の銃で殺すぞ、という脅迫メールが届いたのと同時期。

その銃撃事件で犠牲になった安倍前首相の「国葬」を辞めなければ、「生徒を誘拐する」とか「国葬の会場に濃硫酸を撒く」とかいう脅迫メールも、各地の自治体に届いたということである。

もはや呆れてものも言えない。

(言わないといけないので言ってますが・・・)

ぼくは安倍前首相の国葬には反対だ。

そんなことに大事な税金と時間を使うのなら、コロナの感染爆発で手が回らない医療関係者への手当に税金を使い、医療体制の充実を考えるために時間を費やすべきだと思う。

臨時国会を3日で閉会している場合ではない。

また、安倍前首相の功績に対する客観的な評価、それを踏まえたうえでの国葬の必要性の有無、さらには国葬を行うに当たっての法的根拠等を何ら国会・国民に対して説明もせずに、国葬を強行しようとする政府・岸田首相の姿勢については、まったく民主的だとは思わない。

しかし。

だからと言って国葬を辞めさせるのに、「子どもを誘拐するぞ」という脅迫メールを送るなどという行為は、当たり前のことだが、許されるものではない。

それは民主主義への挑戦・冒涜以外の何物でもない。

かつて鶴田浩二さんが、

右を向いても 左を見ても
ばかと阿呆の 絡み合い
どこに男の夢がある

歌:鶴田浩二 作詞:藤田まさと

と歌ったが、明石市長に対する脅迫メール、そして国葬に対する脅迫メールを見ていると、まさに自らの言動に責任を持つことのない“ばかと阿呆”が好き勝手なことをしているなと思ってしまう。

ネットの“匿名性”に隠れて

泉市長への脅迫メールを送った犯人にせよ、国葬を中止しなければ生徒を誘拐するというメールを送った犯人にせよ、どちらもインターネットの“匿名性”に守られた上での犯行であることには間違いない。

自らは絶対的に安全な位置にあって、自分の要求を無理筋に押し通そうということだ。

ちょうど“無防備”の海水浴客に対して、水上バイクという絶対的に有利な位置に立ったうえで、傍若無人な振る舞いをするというのと根本的には同じことだ。

少し話は変わるが、先日、「侮辱罪」が厳罰化されたというニュースがあった。

とあるテレビ番組での出来事を巡り、SNSで誹謗中傷された女性が命を絶つという事件を発端とした法改正だ。

事件を巡っては、誹謗中傷されていた女性が死亡したという報道がされた途端、SNSで好き勝手なことを言っていた者たちの多くが、あわててアカウントを削除したことが伝えられている。

自分は絶対安全だと思われる立ち位置で女性を誹謗中傷していたのに、そうではなくなったかも知れない、このままでは警察に追われる身になるかも知れないと分かった途端、あわてて尻尾を巻いて逃げ出す。

これもまた、その精神構造は明石の海水浴場からすっかり姿を消した水上バイクの連中と同じだ。

おそらく脅迫メールを送り付けた人間も、安全だと思っていた自分の立ち位置がぐらついた時、慌てふためくのだろう。

市町村初の懲役刑の条例制定

兵庫県明石市議会では、3月25日、水上バイクの危険行為に対し懲役刑を含む罰則を盛り込んだ条例案が全会一致で可決された。

水上バイクの規制に関する条例に懲役刑を盛り込むのは市町村初・全国初のことだという。

また海水浴客を守るため、条例をより実効あるものにするために、海水浴場に高性能の監視カメラを13台設置したとのことだ。

泉市長による水上バイクの危険行為に対する「殺人未遂罪」での告発~裁判所による略式命令~明石市の条例の厳罰化という一連の流れを受け、他の自治体も条例改正に動いた。

兵庫県はそれまでの「20万円以下の罰金刑」という規定を、「3カ月以下の懲役または50万円以下の罰金」と改正。

神戸市も、通年に渡って海水浴エリアでの水上バイクの航行を禁止する条例改正を行い、違反行為には過料の行政罰を科す。

水上バイクによる危険運転がパッタリと止んだということで、泉市長の思いは十二分に達成された、と上に書いたが、こうした条例改正の動きを見れば、泉市長のやったことにはそれだけにはとどまらない大きな意味があったと言えるだろう。

「自分の行動に責任を持つ」という姿勢

条例改正にあたり、泉市長は自ら水上バイクの免許を取ったという。

水上バイクに関する本を読んだがよく分からないので、水上バイクがどういうものなのか自分で乗って確かめようと思ったらしい。

免許を取って実際に自分で水上バイクに乗ってみて、改めてその危険性を実感したとのことだ。
そして自分の身をもって水上バイクの危険性を体感したことで、条例改正の必要性をさらに確信した。

その確信をもって自ら検察庁に何度も赴き、「市町村初の懲役刑」について折衝を重ねたとのことである。

市長として市民の安全・安心のためにできることは何かと考え、記者会見を開いて「殺人未遂罪」で告発することを表明する。

条例改正にあたっては、水上バイクの免許を取り、自ら実際に水上バイクを運転してその危険性を体験してみる。

懲役刑の刑期についての折衝は自ら検察庁に赴く。

自分は誰からも特定されることのない絶対に安全な場所にいて、責任の伴わない好き勝手なことを言う連中とは正反対の姿勢だ。

「自分の行動に責任を持つ」ということについて、SNS全盛・インターネット全盛の今こそ、ぼくたちはもう少し真剣に考えてみる必要があるのではないだろうか。