スシローが昨年の秋に行った「新物!濃厚うに包み」を税込み110円で販売するというキャンペーン。
さらに冬には「冬の味覚!豪華かにづくし」のキャンペーンを行った。
しかし両キャンペーンとも多くの店舗で欠品が起き、実際には客に提供できない状況であったにもかかわらず、テレビでCMを流し続けた。
これが「おとり広告」に当たるとして、6月9日、消費者庁は景品表示法違反でスシローに対し再発防止を求めて出した措置命令が冒頭のものだ。
そのニュースがまだ記憶に新しい7月、今度は、まだキャンペーン開始前なのに「生ビールジョッキ 何杯飲んでも半額」というポスターを店内に掲示して客とトラブルになるという問題が起きた。
またこうした問題とは違うが、ロシアのウクライナ侵攻などの国際情勢の影響で、回転ずし業界にも値上げの波が押し寄せているようだ。
「回転ずし」という言葉は残っても、「100円寿司」という言葉は無くなっていくのかもしれない。
まあ寿司が食べたい時は回転ずしに行くしかないというふところ事情を抱えた我が家では、スシローがどんな問題を起こそうが、他の店舗が少々の値上げをしようが、寿司を食べたい時にはやはり回転ずしを利用することになるだろう。
と言っても、今でも年に1回か2回しか行っていない(行くことができない)回転ずしが、値上げがあればさらに縁遠いものになってしまうのは間違いなさそうだ。
それにしても、、、。
もう数年前になると思うが、たまたま回転ずしで食べた「ボラのにぎり」は想像を大きく超える美味しさだった。
話には聞いていたが、ボラに対する認識が大きく変わったのはあの時からだ。
ボラは出世魚~卵巣は有名な“カラスミ”
ボラは北海道以南~九州南岸にかけて日本中に広く生息する魚だ。
成長すると1メートルにもなる大型魚で、大きくなるにつれて「ハク⇒オボコ⇒イナ⇒ボラ⇒トド」と名前が変わる“出世魚”でもある。
- ハ ク:3~4cm
- オボコ:10cm前後
- イ ナ:20cm前後
- ボ ラ:30~50cm
- ト ド:50cm~
大きさによってこんな風に呼び分けられている。
ハクやオボコといった稚魚・幼魚時代は川や池で暮らす。
春に都会の街中を流れる川などで小さな魚が群れを成していることがあるが、それは多分ハクやオボコの群れだ。
成長したイナは海へと下り、2~4歳魚となったものをボラと呼ぶ。
50cm以上の老成魚であるトドは産卵のために沿岸から姿を消し、南方の黒潮流域へと大移動する。
しかしボラの産卵場所や産卵時期など、産卵形態に関してはまだはっきりとは解明されていない部分が多いらしい。
この成長したボラ(トド)の卵巣を塩漬けにして干したものが、日本三大珍味のひとつ「カラスミ」だ。
また、もっと身近なことで分かっていないボラの行動と言えば、「ボラのジャンプ」がある。
近くに河川の流れ込みがあるようなポイントで釣りをしているとよく見かけるが、朝夕のマズメ時などにボラが海面を飛び跳ねる。
何かボラにも楽しいことがあったんだろうかと思ってしまうが、この行動も何を目的としたものなのか、まだよくわかっていないらしい。
ボラに由来する言葉・ことわざ
日本中に生息し、身近な河川などでも見かけることが多いボラは、昔から日本人には馴染みの深い魚だったようだ。
そのせいでぼくたちが今使っている言葉・ことわざの中にも、ボラに由来するものが多い。
「幼い」を意味する「おぼこい」は、ボラの幼魚の呼び名である「オボコ」から来ている。
「粋でイナセ」なと言えば、江戸っ子の男性に使われることが多い褒め言葉。
江戸は日本橋の魚河岸で働いていた、威勢がよくきっぷの良い若者達の間で流行った、真っ直ぐではなく少し曲げたマゲの形が「イナ」の「背」に似ていたことが「イナセ」という言葉の起源だという。
また「トド」は「これ以上大きくならない」というところから、「とどのつまり」という言葉が生まれたと言われている。
味が環境に左右される魚・左右されない魚
有機物を大量に含んだ泥のことを「デトリタス」と呼ぶが、ボラはこのデトリタスを主食とする「デトリタス食性」である。
そのボラの主食である泥を「臭くて汚い」ものにしたのは人間だ。
「ボラは不味い」、「ボラは臭い」と言って釣り人からも嫌われているが、ボラが「不味くて臭い」のは人間に大きな責任があるということを忘れてはいけないと思う。
水質に影響されて不味くなる魚は他にもたくさんいる。
その代表格と言えば、ボラと同様、人間の生活圏に近いところに生息するスズキやチヌだ。
どちらもきれいな水域のものは美味しいが、河川内にいるものや湾奥で穫れたものの中には、とても食えたものじゃないという個体がいる。
ぼくは釣りが趣味で釣りのブログも運営している。
明石 大蔵海岸の釣果や仕掛け・釣り方などの情報を発信します。 時には明石川でウェーディングしたり淡路島最南端の沼島に遠征したりします。
近くの明石川でも釣りをすることがあるが、明石川で釣れたスズキが3匹続けてひどい味だったという経験がある。
さすがにその時はスズキ釣りに対する情熱が薄らぎかけたものだ。
ボラなどとは反対に、水質にあまり影響されることなく美味しい魚というのもある。
代表格はハゼやキス。
ハゼなどは河川内で釣ることが多い魚だが、てんぷらなどにすると大変美味しくいただける。
キスも同様だ。
ただし、四国の吉野川や仁淀川、四万十川と言った「清流」に住むハゼやキスは、やはり味が違うらしい。
明石川で穫れるハゼが「美味しい」のなら、四万十川で釣れたハゼは「めっちゃ美味しい」ということのようだ。
環境改善が進めば美味しいボラの刺身が食べられるはず
ぼくは「ど」の前に「超」が付く、「超ど田舎」の漁師町で生まれ育った。
海の中は「魚の宝石箱や~!」状態だったし、夏の夜、空を見上げれば天の川に手が届きそうだった。
それだけ海がきれいで空気は澄んでいたということだろう。
そんなぼくが20才で就職し、最初に赴任した先は阪神電車の沿線、阪神尼崎駅を降りて5分ほどのところにある事務所だった。
初めて阪神尼崎駅に降り立った時、ぼくはぼくを取り巻く周囲の空気が手で掴めるような感覚に襲われた。
空気が目に見えるように感じたのだ。
尼崎駅のすぐ東側を流れていた小さな川からは、ひどい悪臭が立ち上っていた。
所用で大阪・梅田に出ることもあったが、当時は電車の中で寝ていても、淀川が近付いてくるとすぐに分かった。
臭いが漂ってくるからだ。
「超ど田舎」で育ち、汚れを知らない純真無垢な青年だったぼく(?)は、そんな環境の悪さに驚いたものだ。
ぼくが就職した当時は、こうした環境汚染への対策が進められている真っ最中だったのだと思う。
営々と続けられたそうした環境汚染対策への努力が実を結び、今では尼崎駅の東側を流れる小河川は、鯉が住めるほど水質が改善されたそうである。
電車が淀川に差し掛かっても、悪臭が漂ってくることもなくなった。
現在はSDGs(持続可能な開発目標)ということが言われ、その中には、
- 住み続けられるまちづくりを
- 海の豊かさを守ろう
- 陸の豊かさも守ろう
といった項目も並んでいる。
人間は愚かな行いもするが、それを反省して、失ったものを取り戻そうとすることもできる動物だ。
短期間でできることではないが、倦まず撓まず努力を続け、豊かな自然、きれいな水質の川や海が戻れば、「水質によって味が左右される魚」という概念も、「悪臭が漂う淀川」と同様に過去のものになるだろう。
そうなれば、本来の味を持つ美味しいボラの刺身が食べられるようになるはずだ。
すべてのボラが美味しいのだから、わざわざ信用ならないキャンペーンをしたり、値上がりした回転ずしに行く必要はない。
自分で釣ったボラを食べればいいのだ。
自分で釣ったボラを三枚におろし、薄造りにした刺身を美味しくいただける日が早く来ることを願っている。